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京都地方裁判所 昭和32年(わ)1191号 判決

被告人 木村信行

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、被告人は昭和三十二年十二月七日午後一時頃京都府綴喜郡田辺町大字三山木小字川端九の四番地先普賢寺川堤防上において、自転車に乗つて通行中のA(満十三年)を認めるや俄に劣情を催し同女を強姦しようと決意し、矢庭に右自転車に自己の体を打当てて同女を約三米下の竹藪へ突き落した上起き上ろうとした同女をその場に仰向けに押倒し、同女のズボン、ズロース等を膝下まで脱がせてその上に乗り掛り、その反抗を抑圧し強いて同女を姦淫しようとしたが偶々通行人に発見されたためその目的を遂げなかつたものである、というのであつて、右の事実は被告人の司法警察員に対する昭和三十二年十二月九日付及び同月十日付各供述調書並びに検察官に対する同月十三日付及び十六日付各供述調書、A、中川弥太郎の検察官に対する各供述調書、司法警察員作成の実況見分調書を綜合してこれを認めることができる。

そして弁護人は、本件行為当時被告人は精神異状者として心神喪失の状態にあつた旨を主張する。そこでこの点について考察してみるに、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、第二回公判調書中の証人木村為吉の供述記載部分及び同人の検察官に対する供述調書並びに検察事務官作成の電話聴取書を綜合すると、被告人は高等学校一学年頃まではまず普通の成績でとおしてきたが、二学年頃から頭がぼんやりして記憶力減退し身体に倦怠をおぼえて勉学に励まず次第に学業成績は下り、同学年末である昭和二十九年二月頃には精神状態に変調が認められるようになつたので京都大学医学部附属病院精神科において診断を受けたところ精神分裂病に罹患していることが判明したため約一ヵ月に亘り治療を施す一方教師の奨めで程度の低い他校へ転校してみたが、頭痛、身体の倦怠は軽快に向かうことなく三学年の約三分の一は欠席し且つ勉学にも堪えることができずして遂に高等学校を卒えるに至らなかつた。そしてその後も病状は悪化の一途で勤労の意欲も失い専ら家に閉じこもつて寝食することにのみ明け暮れる生活状態であつたことが認められ、なお、被告人が精神分裂病の発病をみてより約四年経過した昭和三十二年十二月十日に本件行為をなしたものであること右事件後今日迄は九ヵ月余りしか経過していないこともまた明らかである。このような事実に鑑定人岡本重一作成の鑑定書第五回公判調書中証人岡本重一の供述部分、鑑定人越賀一雄作成の鑑定書の各記載及び被告人の当公判廷における供述の態度並びにその内容を併せ考えてみるに、被告人は本件行為当時既に精神分裂病に罹りその精神状態は正常人のそれと質的に相違し、ものごとの是非善悪を弁識する能力を欠いていたものであつて、前掲各証拠によつてみられるように、被告人が本件行為の際人目につきにくい竹藪の中を選び、また通行人に気付かれることを恐れて泣き叫ぶ被害者の口を押さえて声をたてさせないようにしたことや人に発見されたら大へんだと思つて逃走したことなど恰も正常人を思わせるような行動に出たことは、只単に精神分裂病による精神の統一的機能を失つた状態における「智」的作用によるものに過ぎないのであつて正常人のもつ是非善悪の弁識力を有し、またはこれに基いて行動したものと断定し得ないことが明かである。

従つて被告人は本件行為当時心神喪失の状態にあつたものと認められ刑事責任を負荷することはできないから刑法第三十九条第一項により被告人を処罰しないこととし刑事訴訟法第三百三十六条を適用して被告人に対し無罪の言渡をする。

(裁判官 石原武夫 橋本盛三郎 安国種彦)

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